2005/9/23 北海道から松本、東京、帰国まで
キャラバンもともにし、下町でしめくくり
ベロ亭やきものキャラバン」の北海道行きは、24年間の歴史あるキャラバンでは6回目です。今回は、フスティノさんの来日にともない、「ベロ亭やきものキャラバン」と「プエンテの会」が組むような形をとって、各地でのイベントを計画しました。ただ、フスティノさんだけ別行動という日程も組みましたので、このページでは、フスティノさんの行動の報告を優先して書きました。ただし、フスティノさんはケイコとヒデコと一緒にキャラバン車で移動することも多く、分けきれない部分も多々あり、キャラバンの報告を同時に兼ねている部分もあります。ご了承ください。
9月1日 新日本海フェリー船内 |
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新日本海フェリーに乗ったフスティノさんは、船に乗っている一日だけ、またビップな旅行だとうれしそう。映画「タイタニック」を思い出すような船内だと浮かれ気味で、「写真をここで撮ってください」と、ロビー中央の階段のところでしきりとせがむ。![]() 船の中では北海道で計画しているいくつかの会で、クスコのグループについて話す練習を折を見てケイコとする。フェリーに乗るまで、キャラバンのこまごました準備やら、フスティノさんのお世話やらが重なり、息を抜けなかったケイコとヒデコもちょっと一段落。 ![]() 日本海は青く、波も比較的穏やかで、いい航海日よりだった。まだ九月初めだけに、ライダーなどの旅行者もけっこういるようだ。 |
9月2日 大滝村 |
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写真のフスティノさんの隣りの田中路子さんは、ケイコとヒデコの30年来の友人。大滝村で有機農業をしている。今回のフスティノさんの北海道滞在では、ケイコとヒテ゜コと別行動のときも含めて、田中さんにはすっかりお世話になることになっている。![]() 写真は、田中さんの家の隣にある水谷ロッジで。このロッジは、若者たちの自主管理で運営されている。主に旅人や近隣の人たちが集って、たまにはイベントも持ったりしている。この日の晩はロッジで、フスティノさんの紹介も兼ねて、お話の会をする。 ![]() 階段を椅子替わりにして、旅人の若者たちに、また近隣のプエンテの支援者に、フェリー内で復習したクスコのグループのメンバー紹介を熱心に、一枚一枚写真を見せながらするフスティノさん。4日の札幌の大きな会の、さながら予行演習だ。 |
9月3日 札幌市 |
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翌日のイベントの搬入の日だったこの日。フスティノさんは札幌の宿泊先の東由佳子さん龍夫さんの家の近くの祭りで、こんなポスターを朝方の一時の散歩でウォッチィング。![]() 札幌駅前での翌日のイベントの搬入では、世話人の景平洋子さんが声をかけた数人のお手伝いの人たちと共に、フスティノさんもがんばる。会場のホールが上階なだけに、人から人へ、台車から台車へ、引継ぎ引継ぎ、ようやくヒデコのやきものと、ペルーの民芸品の搬入を終える。 ![]() これだけ人手が揃っているのは、いつも少ない手伝いの中で、搬入出をやりくりしているだけに、この上なくありがたい。おまけにフスティノさんも、心から応援したいという気持ちが溢れているかいがいしさだ。 |
9月4日 札幌市 |
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プエンテの会としての交流の集まりは大阪、広島、武生、北海道大滝村でもってきた。この日のイベントはその集大成ともいえる。クスコの各メンバー紹介の画像はとても大きく一人一人の実感がリアルに迫る中、フスティノさんの日本語の説明もとてもうまい。ケイコともぴったりと息が合っている、と評判だった。![]() この時、クスコのメンバーの性格を言い表すために、フスティノさんが新たに駆使したボキャブラリーは、尊敬されている、感受性が強い、意思が強い、など。 ![]() この後、フォルクローレ演奏。演奏にあわせてフスティノさんと踊りまくり、息せき切ったまま始まったヒデコのラテンアメリカのやきもののの村を訪ねる旅の話と続いた。この話も勿論、大きな画像と共にだった。 場所はなんと札幌駅のまん前の佐藤水産文化ホールという飛び切りの条件だ。 ![]() 前後のキャラバンの展示即売に訪れる人も多かった。ヒデコのやきものと共に並んだペルーの民芸品に、少し浮き足立ったようにうれしげなフスティノさん。 |
9月5日 札幌市 |
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この日は、前日のイベントの搬出日。 景平さんは、ヒデコとケイコの大切な友人で、この会を懸命に支えてくれた。 ![]() 搬出前、この会を共につくったメンバーでパチリ。それこそ何もかも、荷物の上げ下ろしはもとより、パソコンに入った画像の大写し、日本語教室の話とやきものの旅の話の間の、フォルクローレグループキラコの演奏のためのはらはらさせられる手配,この会のこまごまとした時間割などの企画、チケットやチラシつくり、それにチケット販売、新聞社への連絡、二次会場捜しなどなど、このメンバーで手を尽くしてくれた。 ![]() 「境界線を無くすこと、心の中からも、目に見えるものでも、と考えています。こうして、人間と人間とが直接会って話すことがとっても良い事だと思います。」とパソコン画像担当の油谷さん。 ![]() また、油谷さんは、ヒデコの撮ったクスコのグループのメンバーの写真について「被写体となった人物と撮る側との抜き差しならない関係が伝わってくる、真に迫った写真」という。 ![]() 『お話をきいて、フスティノさんの向こうに、ペルーにいる沢山の勉強仲間の姿が見えました。フスティノさんがみんなの存在とともに日本に来たこと、よくわかりました。」と景平さん。 |
9月6日 洞爺湖 |
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足湯体験。日本のお風呂には、日本についた初日に肩までつかって気持ち悪かったので、その日以外は、いつも水シャワーだったというフスティノさん。偶然見つけたこのぽかぽかの足湯も「ちょっと気持ち悪いです」とのこと。それでも興味津々、ケイコとヒデコと共に足を湯に浸す。![]() キャラバンの仕事を兼ねている二人は、なかなかゆっくりする時間がないが、この日はようやくオフで、フスティノさんと三人、洞爺湖畔にくり出し、道中、桃やメロンを買い食いしたり、コンビニ弁当を割りかんで買って、湖畔のベンチでゆっくり食べたり。その後ふらっと歩いていって出会ったのが、観光客に開放されているこの足湯。風邪気味のケイコは、治療にとたっぷり浸かる。 ![]() この後は、昭和新山のふもとの熊牧場を見学。熊に似たフスティノさんは、大小様々、怖そうだけどかわいく手をたたく熊たちの姿を真似したりとご満悦だ。 |
9月7日 長万部 |
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フスティノさんの口から、どうしても一緒に行きたいと言われ、長万部のキャラバンはヒデコ、ケイコの三人でいくことになった。![]() ペルーの民芸品コーナーのベストを着て、売込みまでさりげなく張り切るフスティノさん。実はこの日は台風が来て搬入も搬出も大変だったが、フスティノさんの手助けでずいぶん救われた。やっぱり現場に強いラティーノだ。彼としても二人の役にたちたい思いがいっぱいのきめ細かい手助けだった。ヒデコの腰痛も、ずいぶん緩和されたのでは。 ![]() 写真右はヒデコケイコのいまや旧知の友のような、キャラバンなんと4回目の喫茶店の主の澤薫さん。 |
9月8日 長万部 |
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長万部の『民宿・下宿屋シャマンの里』の山内恵二さんと。山内さんも以前からのプエンテの会の支援者の一人で今回は宿代をカンパしてくださった。![]() 山内さんは、地元の新聞の紙面も受け持っているとかで、宿ではさりげなく、フスティノさんに大切な質問をするなどしていて、ケイコが今のはインタビュー、とフスティノさんに言うと、驚いたようすでニコリ。 ![]() 宿を出た後は、台風一過の国道を三人で大滝村まで。それから、ヒデコとケイコは旭川のキャラバン会場へ、フスティノさんは水谷ロッジで若者たちと田中さんたちと、行動を共にする。 |
9月9日 大滝村 |
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大滝村の山城さんと田中さん夫婦の家で薪わりをする。子供の頃からフスティノさんはお母さんの手伝いで、まきを割ったり、かまどの火を燃やしていたそうです。ここでは、別に農作業も手伝ったりで、フスティノさんにとって、一番、土に近いところにいた日々になったことだろう。とても、気持ちが良かった、という報告もあった。 |
9月10日 伊達市 |
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山城さんと田中さんの娘さんのやすこさんの通う、近隣の町、伊達市内のシュタイナー系のフリースクールで、フスティノさんは、ペルーの文化、特にケチュア語について話す。![]() 実は、フスティノさん、旭川のキャラバンにもついていきたがったのだが、このフリースクールとの約束を守るべく、ケイコとヒデコと数日、別行動という、当初の計画に戻したのだった。 |
9月11日 大滝村 |
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大滝村でフスティノさんが泊まっていたのは、水谷ロッジ。ここに2泊して、日本の若者とも仲良くなった。 最初はどうも若者はわからないと言っていたが、本当によかった。若者たちも、四十代で日本語を学ぶ彼の姿や、自分しだいで文化や言葉が違っても、コミュニケーションが取れる実感に、感動した様子だ。 ![]() さて、この日は、フスティノさんの初めての一人旅でトマムに泊まる。南千歳まで田中さんに送ってもらい、その後特急電車でトマムまで行き、翌日釧路のキャラバン会場まで来るという一人での旅行体験。 ![]() ところが乗車券を通しで買い、特急券を、南千歳ートマム、トマムー釧路と2枚買うことがどうしても理解できず大変だった。「二重買いになります」というのだ。ペルーでは、切符が2枚あるケースがないからだ。クスコからマチュピチュまで特急に乗っても、チケットは1枚だ。トマムはスキー場。さびしかった、と彼。 |
9月12日 釧路市 |
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釧路市の杏園堂での野外のキャラバン会場に、釧路市内を走る路線バスで、トマム一泊の一人旅からようやく戻って、再会の瞬間に即座に「悲しかった子どもみたい」と日本語で言うフスティノさん。どうやら一人旅はよほど心細かったらしい。![]() さて、鍼灸院のキャラバン会場では、鍼灸体験をさせてもらって、やる前は不安そうだったのに、終わってからはしきりと痛くなかったと言うフスティノさん。 ![]() 杏園堂の須藤さんは外国人はただで鍼灸を体験してもらっているという。写真は鍼灸院の待合室で。 ![]() 一人旅をしたトマムでの写真が一枚もないのは、フスティノさんが送ってくれた田中さんの車に、カメラを忘れたせいだ。心細いけれどそれなり豪華だったはずの、一人旅の写真見たかったなあ。それにしてもキャラバンがいろんな場所で展開されていく事、よく理解してもらえたのでは。 ![]() 泊まり先の、ケイコとヒデコの旧知の友、荒井久代さん宅で覚えた言葉は。もらって、もらって、みてみて、たべごろみごろ、あげたてほやほや、でした。 |
9月13日 阿寒湖畔 |
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フスティノさんの北海道旅行の大きな目的のひとつであるアイヌ民族との出会いに向けて、この日はまず道東の屈斜路湖を訪ねた。そこにある民族資料館でフスティノさんはビデオなどを通して、アイヌ民族について予習をした。さっそくケチュア語との類似点などを見つけていた。
![]() 写真は、阿寒湖畔に移ってから、アイヌコタンのお店ポロンノの床みどりさんと。フスティノさんはアイヌの人達と話したり、アイヌの食べ物ポッチェいもを食べたり。インカと同じ凍らせるいもとの味くらべになって、同じ色だし味は近いけど違う、むしろ乾燥させたモラヤに似ている、と感想を伝える。 ![]() 「久しぶりに懐かしいおじさんに出会ったようで、とても嬉しく逢う事ができた事を感謝します」とみどりさん。「同じ民族のような気がして、自然に接することができました。物静かな態度、やさしげな瞳。ペルーの空気を感じました」と、詩人でもある戸塚美波子さん。 |
9月14日 阿寒 コタン |
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雨の中、コタンでのキャラバンは、急きょ共同浴場の和室で昼間。搬入出をまた助けるフスティノさん。![]() それからずっと遅く、どの店も営業を終えた深夜11時頃から明け方3時くらいまで、『ポロンノ』で交流会がありました。 ![]() コタンの床さん夫妻や戸塚美波子さん、弟子シギ子さんなど続々集まってくださり、フスティノさんの民族について次々質問が出て、フスティノさんが自分達の民族の言葉、ケチュア語で静かに挨拶を始める一幕もあったり。ヒデコはその時初めてフスティノさんの静けさにぴったりの言葉だと理解した。 ![]() アイヌ語を話せなくなったアイヌの人々から、くれぐれもケチュア語の保存に努力してほしいとフスティノさんに話がありました。 ![]() また、シギ子さんやみどりさんの、アイヌ民族の口琴であるムックリの演奏もあって、夜遅くまで楽しい交流ができました。 ![]() かつてベロ亭のキャラバンでも、こうした交流会を阿寒のコタンで持ったことがありましたが、フスティノさんを加えてよりいっそう密度濃い良い時間が持てました。ここでは、フスティノさんの存在の意味、おもみが増したと思います。 ![]() また、日本国内でプエンテの会が語り続けている、クスコのグループの自立支援の意味が、いつものようにくどくど説明しなくても、2,3の言葉であっという間に阿寒のコタンの人々に届いていった事にたいそう驚きました。 ![]() 普段日本国内でプエンテの会の活動を理解してもらうために、多くの言葉が必要なのに比べて、74歳のシギ子さんにあっという間に理解してもらえて、「とても意味のある活動をしているのね」といわれたのは、ほんとうに嬉しかったものです。 |
9月15日 支笏湖畔 |
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この日は阿寒湖半から支笏湖畔まで、昼から夜遅くまで三人でキャラバン車で大移動。ケイコとヒデコは、フスティノさんとの最後の一日をひたすらドライブ。![]() 北海道の大自然を満喫しながら、途中温泉も楽しんだり。千歳の町では、最後の晩餐でちょっとはずんだお寿司。 ![]() フスティノさんの北海道最後の宿は、湖畔のログハウスの格安民宿。男女別の相部屋だ。三人は、かなり遅くまで、残る1週間のフスティノさんの予定を細かく確認したりして過ごす。 ![]() バイクや自転車で旅する若者が多い宿で、翌朝ライダーの女の子が出発すると判ると、めざとくさりげなく、一緒に写真を撮ってもらうフスティノさんはやっぱりラティーノ。 ![]() この日で、キャラバン車の前に三人がけで座るという、かなりきつくて肩がこる、という「悪条件」から開放された。フスティノさんはがっちりした体格だから、車内が狭くなるのだ。以後は、ケイコとヒデコの二人がけに戻って、広々として楽は楽だが、なんだか拍子抜けしたようなさびしさを感じたものだった。 |
9月16日 松本市 |
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新千歳空港を昼過ぎ発の飛行機でフスティノさんは松本へ。ケイコとヒデコにとっては、これでもうフスティノさんとすっかりお別れとあって、じつくりお別れに至る時間を過ごす。搭乗口ではひしと抱き合って、思わず涙。![]() 空港を見晴らす屋上では、機影が消えるまで見送った。まるでペルーに向かっていったかのよう。「クスコの面々に、この旅がすべて、贈り物になりますように」と、滞在記録ノートにヒデコ。 ![]() 松本では、昨年新婚旅行でクスコを訪れ、おつれあいの方がクスコの教室で日本語を教えてくれたという経緯もある佐藤さん夫婦のお宅へ。その後生まれたという赤ちゃんを抱くフスティノさん。 ![]() 撮影は信州大学で日本語を教えている佐藤友則さん。一緒に写真に映っているのは、勿論おつれあいです。「ペルー事情についてつらそうに話す時も、うちの子に『あそぼ』と笑いかける時も、ともに彼らしいと思える誠実さがありますね。それはどこの国の人という問題をこえる、本当の人間的魅力だと思います」と佐藤友則さん。 |
9月17日 松本市 |
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松本の家具職人の木村義晴さんもプエンテの会の会員。フスティノさんは木村さんと稲刈り体験。 もう日本で体験していないことがないくらいだ。 ![]() 「たった2ヶ月余りで、これほど日本を見聞きし考えた人も少ないだろう。日常会話に支障をきたさないほどなのに、もっと日本語を勉強したいというのは、彼の人柄にも見えるような気がして、日本人との友情を大切にしたいという思いを感じる。プエンテの会の架け橋という意味が、確かにここにはあるという気がした。」と木村さん。励まされる指摘だ。 |
9月18日 東京 |
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フルスケジュール続きで、だいぶ疲れた様子で東京入りしたフスティノさん。![]() 早朝松本発、新宿では西尾宣彦さんがホームで迎え、午前中は目黒の教会でミサ、その後、ブラジル人神父と会う、という慌しさだ。 ![]() それから、新宿のしょんべん横丁で支援者の小笠原博カズさん、西尾さんと昼間から飲み屋で乾杯。隣のオヤジが話しかけてきておもしろかったそうだ。 ![]() 西尾さんも小笠原さんも、2000年に別々にクスコに来ている。西尾さんはしばらく近くの安ホテルに滞在、当時ケイコたちと一緒にクスコに住んでいた息子たちともずいぶん親交を深めた。 ![]() 小笠原さんは、その年の8月、ケイコとヒデコが当時の生徒たちとすったもんだの挙句開いた『日本とクスコの友情の橋フェスティバル』に、「指圧」の技を披露して参加してくれた経緯がある。プエンテは「友情の橋」の「橋」を意味するのだが、小笠原さんは会の名前の由来になっているこの催しに居合わせていたのである。 ![]() フスティノさんの日本滞在をうたった、小笠原さんのお得意の一句。「忙しく過ぎ満ちてゆく旅の月」 この日の夜は夜で、クスコで知り合った日本人の旧友が、宿まで迎えに来て遅くまで飲んだらしい。 |
9月19日 東京 |
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この日は東京の世話人になっている小笠原さんが、12人にお知らせをだして、ラスト交流会を、ヒデコの娘の岩国早苗と大悟法さん宅で。参加者はのべ9人。フスティノさんはこの2ヵ月半をプレイバック。さりげなくペルーのお土産を参加者に渡したりも。![]() 早苗からの報告では「フスティノさんが、日本人は皆親切でよい人というので、集まった皆で、フスティノさんが会った人達は、皆小泉を支持していないような少数派なんだよとしきりと訴えたんだ」とか。 ![]() 総選挙で自民党が圧勝した直後だったし。写真撮影は大悟法さん。この後の二次会には、重要な支援者である丹羽雅代さんも現れた。彼女によると、フスティノさん、疲れた、休みたい、と顔に描いてあるほどだったとか。 ![]() 昼間、鎌倉からかけつけた村田さんは2003年、丹羽さんは1999年暮れ、早苗は2000年、ケイコとヒデコのいたクスコを訪ねている。その時、フスティノさんに会って、再会を望んでいた人たちが主に、この日の会に集まってくれたということだろう。 ![]() 北海道でキャラバン中のケイコ、二次会を終えた後の早苗の電話で詳しくこの日の交流の報告を聞く。 |
9月20日 東京 |
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この日は誰にも頼らず、疲れているのでひたすら休養に当てると言っていたのに、根津の旅館を散歩がてら出てから、6時間も一人で歩き回ったとか。![]() 小笠原さんから、前日の交流会で、「迷ったりする経験が一番の思い出になる」としきりとアドバイスされたのもあるだろう。そんな小笠原さん自身、クスコに行ったときには、、率先して裏通りに一人で入り、いっぱい飲み屋で現地の人と、片言と手ぶり身ぶりと心意気で生きたコミュニケーションをするという経験ずみ。 ![]() 「きれいな池がありました」とメールがヒデコに。不忍池のことだろう。その散歩の途中で発見した、サザエさんの石塔。実は大阪で北川さんから、フスティノさんは、日本語の勉強のためにいいだろうとサザエさんの漫画をもらって、旅の間も暇があれば読んでいて、この石塔を見つけてうれしくなったフスティノさん、即、写真を撮ったに違いない。 |
9月21日 東京 |
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大悟法淳一さんと一緒に、この日フスティノさんは、日本語テキストの専門店凡人社と東京タワーへ。![]() 必要な本はプエンテの会で買ってあげるから、とのケイコの北海道からの伝言で、買い揃えたのが写真の数冊。漢字や動詞の勉強に役立ちそうな2冊以外は、どれも日本語能力試験2級の受験対策本ばかり。 ![]() 中級の分厚いテキストの勉強を飛ばして、いきなり2級試験対策とは、3級と2級のレベルの違いの大きさを何も知らない証拠と、この写真を見て呆然としたケイコ。どんな本を購入したのか判るように、一冊一冊表紙の写真を撮ってくれた大悟法さんに感謝。 ![]() ともかく、フスティノさんの意気込みだけは伝わって、うれしいやら驚くやら。 「ペルーに戻ったら、見たこと感じたこと全てを、時間をかけて、グループで話してください」と大悟法さん。 |
9月22日 東京 |
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東京ではホームステイ先が最後まで見つからず、日本滞在最後の5泊は、ネットで検索して見つけた、ちょっと有名な外国人専用の割安な和風旅館に宿泊。 宿の人にもいろいろ聞いたりしつつ、根津という下町情緒あふれる界隈をどのくらい堪能したのだろうか。 6畳の部屋で寝巻き姿で宿の主人に言われて撮ったというこの写真。なぞのポーズ。 ![]() この宿、外国人専用にしてからは、日本流の風呂の使い方が判らない外国人のお客に、次々と風呂の栓を抜かれ、困り抜いたりなどの異文化ショックをくぐりぬけてきただけある、なかなかの外国人専用宿だ。 ![]() この日は一日、数年前にクスコで出会って以来、いろいろ世話になったこともある、旧知の日本人の友に、彼の車で横浜中華街に連れて行ってもらったり、ペルー料理やお寿司をおごられまくったりで、思いがけず数年ぶりの再会を、豪華に楽しむ時間に。 スーツケース二つの荷造りも大変だったろう。 |
9月23日 成田空港 |
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空港への見送りは支援者の小笠原さんと村田さん。それにフスティノさんの旧知の友人二人。![]() 北海道のケイコとヒデコの所にも、フスティノさんから電話。ありがとう、ありがとう、と繰り返す彼。泥棒のいる所に帰るのを忘れないで気をつけて、とケイコ。 ![]() その後も、時計を見ながら、ああそろそろ搭乗かな、とか、一刻一刻彼の出発を意識するケイコ。小さなプエンテの会にとっては、きわめて大きな事業だったフスティノさんの日本への招待。それが本当に今終わろうとしているのだ。 ![]() こうして、この日ゲートについに消えたフスティノさん。 ![]() 今回会ったかなりの数の支援者たちが、ペルーのクスコでのフスティノさんとの再会を願っている。再会が本当に実現するとき、フスティノさんとの友情の向こうに存在する、グループの一人一人のことも忘れないでほしい、とケイコとヒデコは、心から祈らずにいられない。このフスティノさんの日本滞在75日は、ペルーのクスコの『日本語自主学習グループがんばろう』の、さらなる自立のためにこそあったのだから。 ![]() たくさんの人が書きついでいった日本滞在記録ノートには、彼の人柄の温かさや、優しさとの出会いが随所に記されている。(『もっと知りたいフスティノさんの75日』のページでは、このノートよりかなり引用させてもらっています) ![]() この写真は村田さん撮影。26日には、クスコから無事着いたと、フスティノさんからメールが。 |