クスコの「日本語自主学習グループがんばろう」のリーダーが2005年夏に来日!
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プエンテの会の招待による初めての日本訪問の記録です
「日本語自主学習グループがんばろう」のリーダー、フスティノ・アラゴンさんは、2004年の日本語能力試験3級に見事にパスしました。「プエンテの会」の代表であり、グループの日本語教師である米谷恵子のクスコでの指導の下でのことでした。日本に一度も来たことのないフスティノさんにこういった快挙があったことから、プエンテの会では、フスティノさんがじかに日本の文化社会にふれつつ、日本語力にいっそう磨きがかけられるように、日本に二ヵ月半ほど招待することに決めました。
来日予定は当初7月7日でしたが、ビザの手続きなどで4日遅れの7月11日の日本到着となりました。
(写真 旦保智子)

5月のはじめから、日本側が招待するということがわかる書類を何枚も書きました。
6月にはいって、クスコに着いたその書類で、フスティノさんは、リマにある日本領事館で
日本の短期滞在のビザをとる手続きの予約をしました。
支援者の一人村田知子さんが招請状、仕事や収入の証明などを書いてくれました。
フスティノさんが日本領事館に書類を提出したところが、2週間前に法律が変わったと、日本領事館でいわれ、
新たに保証人を証明する書類を要求されました。
事務局が日本国内で、外務省に何度も問い合わせて作った書類なのに、突然法が変わり、
中国人やロシア人にだけ要求していた保証人の書類を提出しなければならなくなりました。
外務省に問い合わせても、そういう場合もあるという程度でした。
それでも現地が要求しているしフスティノさんも困っているので、
招請人をしていただいている村田さんに大慌てで追加書類を作ってもらいEMS郵便で送りました。
一方、ペルーのフスティノさんの側も、自分の仕事や、収入を証明できる書類を
作成し、日本側の書類もあわせ、ようやく領事館に面接の予約が取れたわけです。
その後リマに行って、領事館で、提出書類のうち2枚が、原本でないとされ
もう一度日本からEMSで送りなおし、面談も一週間後にやり直しでした。
リマとクスコはバスで20時間です。
フスティノさんは、そこを何度も行ったりきたりがさらに続くのです。
さらに、日本の短期滞在ビザが出る日付も6月末と最初言われ、後押ししてくださる人を通じて
ようやく6月27日に日本のビザが出ました。
それで終わりでないのが途上国の悲しさです。
たった2時間ほど通過するだけのUSAの通過ビザを、日本のビザをもってして申請します。
まず、面接の予約からでした。100ドルも予約だけにペルー人から取るのは収奪でしょう。
そして、結果的にわかったのは、7月中旬にならないとUSAビザが出ないということでした。
聞くところによると、これを待ってもペルー人にはビザを出すのをどんどん減らしているそうです。
USAは何を疑っているのでしょう。何を恐れているのでしょう。
結局、USAビザが相当時間がかかりそうなので、カナダ経由に変更しカナダの通過ビザの申請をしたのですが、
カナダ大使館でもとても時間がかかったのです。
大使館は、ただの通過のために何を審査して時間を食っているのでしょう。おまけに、エアーカナダはリマ発の便が週3回しか出ません。
フスティノさんのように、大使館の前に列を作ってビザを待つペルー人がたくさんいるそうです。
USAの通過ビザは、ペルー人に人数制限をしているという話も聞きました。
こうしてやっと、ペルー時間の7月10日にリマを出発しました。
以下の75日の記録に使用した写真は、ヒデコこと岩国英子とフスティノさん自身が撮影したものが主ですが、ホストファミリーなどの協力を得たものもあります

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