2005/8/5 大阪を去る日まで
猛暑の中での日本語コースと楽しみと
7月11日 成田 |
![]() |
ケイコは、この日福井県武生市から新幹線で、村田知子さんは鎌倉から、成田空港へお迎えに直行。
![]() ケイコは、それまでフスティノさんの到着が遅れ続けたり、家族の様々な問題があったりで、気持ちに余り余裕がなかったせいか、空港に着いて間もなく、フスティノさんを迎えるという直前になって、急にリアルに迫る思いに涙が出そうだった。そうだ。もう始まるのだ。後に引けない。とうとう彼を迎えるのだ。 ![]() 午後4時半、とうとう空港のBの出口から、沢山の荷物と共に出てきたフスティノさん。村田さんと共に出迎え、早速スーツケースを宅急便で送る。 ![]() 入国審査では、やはりペルー人というだけでひっかかり、別の所に連れて行かれそうになったが、「招請人と私の日本語の先生が外で待っている。先生のこの携帯番号に電話してください」とフスティノさんが訴えると、ああそれならと、難なく入国できたのだという。村田さんもケイコも、はるばる迎えに来た甲斐があったと、それを聞いて胸をなでおろした。 ![]() ケイコとヒデコは、毎年ペルーのクスコへ行って、彼の奥さんが建設中のホテルの一室をお借りして、生活のこまごましたことまで世話してもらいながら、日本語教室を運営しているのだが、今度は反対のことをどんな風にやりきれるかなのだ。 外国人、とくに発展途上国と呼ばれる国の人と、支援体制のある関係の中で、日本で本当の友情を暖めるとはどういうことか? ご馳走することか、日本語を教えることか、観光の世話をすることか、一緒に踊ることか、共に生活することか、関わる人々それぞれのやり方を、探してみたいものです。 ![]() 延々2時間半の鎌倉までの電車の中では、ひたすら携帯電話を使い続ける日本人の姿に、大の大人が漫画の雑誌に夢中なのに驚くフスティノさん。 「日本人はとても忙しそうだなー」とは、フスティノさんの日本の第一印象。 |
7月12日 鎌倉 |
![]() |
村田さん宅での1泊目の後は、村田さんや村田さんの友人と、鎌倉の大仏、銭洗い弁天などを観光。 銭洗弁天では、円もドルもソルも、増えるようにお願いしたフスティノさんは、さすが両替商。 ![]() 夕刻からは新幹線で京都へ。初めての超特急に、 「まるで、飛行機みたいだ」とやや緊張気味。 ![]() 村田さんは、「物静かで思慮深い目をした人だったんですね」と滞在記録ノートに書いている。 ![]() 村田さん宅では、靴を脱いで家に上がるのも初めて、お風呂に肩までつかるのも初めて、当たり前のように箸だけしか出されない食卓も初めて、という一部始終に同行したケイコは少し驚く。村田さんたちがそのことに意外にも気づいていないことも興味深い。それでも、娘さんのかずはさんも、きめ細かく気づかってくれて、フスティノさんもうちとける。こうやって、日本に少しずつ慣れていくのだろう。 |
7月13日 京都 |
![]() |
12日の夜から柴崎文恵さん宅に宿泊。![]() 夜は、ケイコとフスティノさんでふたつのスーツケースの荷物の仕分け、それまでかかったビザのためのペルー国内の旅行費用の精算などに忙しい。 ![]() ケイコ、家族の突然の事態に京都駅まで車で走る一幕も。 ![]() 13日は柴崎さんの友達のフィリピン人のシュリルさんと、シュリルさんの夫で運転手のキトラさんと広隆寺へ。フスティノさんは弥勒菩薩にたいそう感激する。「京都を一望できるところに行きたい」という希望で、京都タワーへ。 ![]() 夜はカイさんの家族とトランプ遊びも。おだやかで、やさしくて親切なフスティノさんが、実は「負けず嫌い」だったとか。ペルーではゲームの時、一人残らず、すさまじい勝負師になることを思い出した。 カイさんやお連れ合いの博さんとの語り合いで、深くおだやかでとても良い時間を共有したそう。 ![]() 京都の受け入れ先は{戸籍のない子供のパスポート問題}という「国籍確認訴訟」をやっている仲間たちだ。 |
7月14日 京都 |
![]() |
日本で行きたいところはどこか、というケイコの質問に、ひたすらフスティノさんは「京都に行きたい」と。 そこで、カイさんは張り切って案内する。 ![]() 犬の散歩、清水寺、漬物や、八つ橋や、扇やへ。カイさんから扇をひとつプレゼント。 ![]() 清水寺の本堂にある坂上田村麻呂碑から、蝦夷征伐とマイノリティの話にまで至り、フスティノさんの興味は尽きない。豚やヤギの話、ネイティブアメリカンの話、フスティノさんとの出会いは、「自然、動物、人間が兄弟姉妹であるような思考で更なる刺激になりました」と博さん。 ![]() 三十三間堂に金閣寺。金閣寺はどうしても行きたかったフスティノさん。もし行かなければクスコのマチュピチュに行かなかったようなものだというのだ。 その後、すし屋で、カイさんと箸の使い方大特訓。その後の旅で、この日の練習はどれほど役立ったことだろう。写真はカイさんと金閣寺で。 ![]() 夕方は、スーパーへ。フスティノさんはもっと遅くなると、安くなるのか、など質問。また、線香花火もしたり、サッカーも少ししたり。彼の線香花火がなかなか長持ちしたとか。特筆ものは、夕食を食べ終わった後の彼のごく自然な食器洗いと、布団のたたみ方を知って、きちっと片付けてくれたこと、とか。 ![]() フスティノさんは、カイさん一家に、自分の家族を重ねていたよう。年頃も子供の数も似ているからか。 いや、オクサンが強いせい、が本当のことらしい。 |
7月15日 京都 |
![]() |
支援者の勝部さんと、カイさんの先輩でもある山本さんの案内で祇園祭に。鉾にものったそうだ。日本人でもなかなかのれないのに、ラッキーなフスティノさん。「これまでの人生の中で、外国の方とこんなに気持ちを込めて接することができたのは私の大切なキオクとして残ります」と勝部さん。「自分も旅している気持ちでした」と山本さん。 宿泊は彼女たちの仲間の俊子さん宅で。 |
7月16日 大阪 |
![]() |
来日5日目の今日は、いよいよYWCAの日本語集中コースのクラス分けのためのテストです。「ほとんどできた」そうです。![]() クスコでは電車の駅はマチュピチュ行きの駅とプーノ行きの駅がありますが、そのいずれも、日本のローカル線の駅のようなもの。京都から大阪に移動し、駅構内を歩くだけでくたくたになるほどの規模と人間の多さに少々くたびれながらも、初めての外国旅行に挑戦しているようでした。 ![]() また、YWCAまでの街中の猛暑は、日本人も参ってしまうほどだが、暑さというものを経験したことがない彼にはいかに過酷なことか。それが毎日続くのだ。 ![]() 試験の後、ケータイ電話のショップに。会で電話機を購入し、彼はカードを購入しました。アドレスの登録、電話の受信、送信、メールの送受信、必死で漢字を読みながらマスターする。漢字を300字しか知らない彼には、日本語の漢字の海は、いかにも多すぎて大変なのだろう。四苦八苦していた。 |
7月17日 関西交流会 |
![]() |
関西のプエンテの会のメンバーや、フスティノさんの来日に関心がある18人が、尼崎市園田の北川れん子さん宅に集まった。
![]() フスティノさんの話は日本の印象から。「日本人はとても忙しそうです。顔はまだ、皆同じに見えます」と。 ![]() その後、ヒデコこと岩国英子が撮った、クスコの「グループがんばろう」のメンバー一人一人の大きなパネルを見せながら紹介。一人一人のアップ写真を見ながらだったので、参加者も気持ちを込めて聞いていたよう。なぜどんな風に、日本語をペルー人が学ぶのか、ヒデコ、ケイコの話もまじえながら、フスティノさんは知っている日本語を駆使してゆっくり話す。 ![]() 参加者からも質問が続出し、経済事情や文化の違う中でのグループ作りが、少し伝わったようだ。フスティノさんも初めての日本に慣れつつある最中だし、物静かな時も多く、「おとなしいね」と言われることも。今に慣れる、と思うケイコ。まだ相当の緊張が伺われるフスティノさん。 ![]() その後、日本語学習者用のゲームで、日本人とフスティノさん共々遊ぶ。19日がフスティノさんの誕生日なので、美味しいご馳走と共に、その後は乾杯「サルー」(スペイン語)でした。 ![]() 「ベロ亭の活動がますますいい形で広がっていることを確信しました」と正木さん。「日本にいる時の方が、若く少年のように見えたよ」と旦保さと子さん。写真は交流会翌日、会場のお宅前で、一ヶ月、別行動するお別れ前に、ケイコとヒデコと撮ったもの。 |
7月18日 大阪 |
![]() |
17日深夜にケイコが書いた滞在記録ノートより。 「『かわいい子には旅をさせよ』と言うには、47歳になるフスティノさんは大人です。でも、彼はたった1週間前からの「日本文化入門者」です。違う文化社会からやってきて、新しい文化社会に入っていくことが、どんなにおもしろく愉快で、しかも時に驚きや痛みに満ちているか、ペルーを通過して経験ずみの私には、『かわいい教え子に旅をさせる』気持ちに変わりはありません。彼がじっくり身につけてきた日本語が本当に試され、きたえなおされる時が、待ったなしでやってきました。私はとことんわくわくドキドキしながら、この場を離れていきます。」 ![]() いよいよ、ケイコ、ヒデコから離れて「ちょっと子供の気持ちです」と別れ際のフスティノさん。 ![]() 関西交流会のあった尼崎市園田にある「喫茶どるめん」で金ソンイルさんと八百屋連の矢野さん北川さんと。 ![]() その日の夜、佐藤朋子さんの助けで、YWCAのあいだずっとホームステイする高槻の山本八重子さん宅に。北川さんも矢野さんも、そして佐藤さんも皆、関西で重要な支援者たちだ。 |
7月19日 YWCA始まる |
![]() |
今日からいよいよ、YWCAの日本語集中コースに入ったフスティノさんです。試験の結果3級の一番レベルの高いコースに入りました。
![]() 同年代のフランス人とイタリア人の男性、アメリカ人の若い男性、台湾人の若い女性の5人のクラスです。早速インターネットカフェなどの情報交換をしたそうです。 ![]() 行きはホームステイ先の山本さんと、大阪駅からはプエンテの会のサポーターの西村隆さんがYWCAまでの道を教えて、帰りはマスターしていたようです。先日の試験の日は、ヒデコ、ケイコの案内で、まだ不安そうでしたが、これで通学が一人でできることになり、一安心です。 ![]() その一方で、クスコでは、サブリーダーの若いバロイス君とラケルさんが、1週間おきにフスティノさんの代わりに、グループの皆と日本語を勉強しているのです。これは、フスティノさんの来日とセットで、事前に約束ずみの事で、約束が守られているという知らせはなかなかうれしく張り合いのあるものです。これはほとんどペルーの奇跡?それとも・・・。 |
7月20日 大阪 |
![]() |
フスティノさんが見た大阪。![]() フスティノさんは、今日で3日、高槻から大阪駅まで電車で通学しています。YWCAは毎日楽しいそうだ。日本語の学生は全部で37人とか。お茶を飲みながら交流したり、今日はお好み焼きを先生が作ってくれてフスティノさんたちが食べたそうだ。 ![]() 辞書を持ってくるように、恵子が言っていたが、スペイン語は出ていない電子辞書(英語と日本語、広辞苑など)を、ペルーから持ってきていた。恵子はかなりがっかりして、日本語→スペイン語の辞書を買って送った。YWCAのお好み焼きパーティのときに辞書が届いて、相当うれしかったようだ。 ![]() 毎日5個の漢字を学び、翌日テストがあるそうだ。3週間で、また読める漢字が増えるのはうれしい。 ![]() クスコで去年、ヒデコが最後に教えた漢字は、旅・谷・汽船・国王・合同・当然 だ。今日は何を勉強したのか。 |
7月21日 大阪 |
![]() |
フスティノさんの書いた、当て字での名前。 クスコでは、漢字は全てお習字を通過して覚えてもらったし、その頃から結構うまかったけど、やっぱり今回もなかなかの達筆。 ![]() 会話の方は、たしかに3級の日本語能力試験に受かっているとはいえ、まだまだ十分に口を動かして表現できるとはいえない、とケイコセンセイ。 大阪での3週間のコースと、日本での様々な人々とのふれあいが、彼をどこまで伸ばすか、これからが勝負といったところかな。 ![]() ところで、フスティノさんは、YWCAで勉強中、折りにふれて何か気がつくと、まめにメモを取っていた。一日本語学習者としては勿論だが、一日本語教師志望者としても、一人一人の先生の教え方の工夫や違いなども、とても勉強になったと言っていたものだ。 |
7月22日 大阪 |
![]() |
成田有子さんと梅田のhep Fiveの観覧車で写真。それからヨドバシカメラにデジカメの電池を買いに。 東ひろみさんにも、買い物などで梅田周辺を案内してもらいました。人の助けを借りないと、この大きな都市を動けないのです。 ![]() この日は、神戸大学の小林致広さんの誘いで、メキシコの「メキシコ先住民運動連帯関西グループ」の会合があり、クスコのグループの話を、フスティノさんがしました。成田さんとは、その道案内がてら、一緒に観光したのです。この会合には8人の参加者があり、プエンテの会の会報や、支援のための絵葉書なども売れ、カンパも集まりました。力強い支援には、つくづく励まされます。 ![]() 日本語という言葉の前に「友情がある」と、クスコと日本の友情の架け橋(プエンテ)という意味を、会の原則として話したようです。 |
7月23日 大阪 |
![]() |
週末は日本語集中講座がなく、あちこちで予定がいっぱいのフスティノさん。![]() 日中はプエンテの会の佐藤朋子さんの案内でビール工場の見学に。フスティノさんのお父さんは、クスコで唯一のビール工場で働いていたそうだ。果たして日本の工場は「とても大きかった」そうだ。 ![]() クスコには有名なクスケーニャというビールがあります。フスティノさんは、特にクスケーニャの麦芽糖からつくられる黒ビールが好きなようです。クスコの人はこの黒ビールを薬だと思っていて、体の具合が悪いときも奨められます。ただし、フスティノさんは2003年にはどんどん飲んでいたのですが、胃を壊したといって、2004年にはあまり飲んでいませんでした。 ![]() どうやら佐藤さんはスペインに語学留学されたことがあったようです。他にもスペイン語の腕試しのボランティアの方もいるようです。 |
7月24日 滋賀 |
![]() |
日本食にも慣れ、箸にも慣れ、彼の胃腸は何の問題もなく、無事すごしているようです。クスコでは、箸は敬遠していたのに!
![]() 園田の八百屋連の人たちと近江八幡で観光したあと、滋賀県のダイナカというところの、とうもろこしとスイカの生産者のうちに行ったそうです。 そして、園田の「支援者」のひとり、北川さん曰く。 「4児のパパが今は学生している青年のようだ」そうです。 ![]() YWCAで紹介された高槻のホームスティ先にもすっかり慣れたそうです。 |
7月25日 大阪 |
![]() |
フスティノさんは、毎日実に精力的に動いている。天神様のお祭りに、日本語の講座の仲間と、YWCAの先生といった時の写真。![]() 高槻のホームステイ先にも、週末もずいぶん夜遅く帰る日が続いたようだ。「ほっと我に返る時間がなくて、大丈夫かしら」とホームステイ先の山本さんとの電話で一緒に心配したほどだった。 ![]() YWCAの斡旋で、最低限の費用を払って始まった、高槻の住宅街にある、山本さん宅での15泊のホームステイ。食事もとてもおいしく、部屋には冷房もあって快適だったそうだ。夜、フスティノさんの携帯に電話すると、ちょうど帰り道で、高槻の街中を歩いていることがよくあった。 |
7月26日 YWCAの日本語集中クラス |
![]() |
大阪YWCAのコースでは趣味の時間がある。フスティノさんは今日、得意の習字を書いた。よくペルー人は自分の名前を漢字で書きたがる。フスティノさんは、筆でのトメやハライなども、とても得意だ。![]() クスコでの、ヒデコの漢字の授業は、必ず半紙に大きく筆で、覚える漢字を書くことから始めている。クスコでは毎日習字をやっていたのだ。 ![]() 左からフスティノさん、クラスメイトのアメリカ人、台湾人、中国人。 ![]() 毎週木曜日午後の、趣味の時間は、防災センターの見学とか、お好み焼き作りとか、いろいろあって工夫されているのがなかなかいいのです。 |
7月27日 神戸 |
![]() |
FMラジオの出演と雑誌取材。
![]() 連日、日本人と日本語で話し続けているフスティノさん。今日はケイコのすすめで、神戸のNGO「外国人救援ネット」のある人を通して、「ヒョウゴラティーノ」という団体の代表のペルー人、ギジェルモさんに会えたそうです。 ![]() 久々にスペイン語だけで数時間話したそうで、電話の声は少し緊張の解けたものでした。日本ではペルー人が住みにくいなどなどの問題があることを、どうやらいろいろ聞いたようです。なにせ、クスコのペルー人の間では、日本はパラダイスになってしまっていることが多いのですから。 ![]() また。ヒョウゴラティーノがやっている、「FMわいわい」という、兵庫県神戸市長田区内のFM放送に出演し、7月28日のペルーの独立記念日を前にして、クスコの話をスタジオでしたそうです。 ![]() また、ヒョウゴラティーノという雑誌のために取材され、クスコの「グループがんばろう」についてフスティノさんが話したそうです。毎日、日本語講座の山の宿題もあるそうで、こんなに忙しくしていてやれてるかなあ。 |
7月28日 尼崎 |
![]() |
フスティノさんがペルーから持ってきたデジカメは、実はヒデコが去年日本で買っていったものです。![]() クラスに1台あればよいと思いながら、いきなりプレゼントしたくないのは、援助のより良いスタイルを望んでのことです。グループで具体的に活用できそうな態勢が確認できてから、プエンテの会で買い取ってもらって、クラスにプレゼントすることにしました。 ![]() もしこうならなかったら、もちろん個人的にペルー人に売りつけるつもりでした。デジカメはペルーでは手に入りにくいので、皆が欲しがります。 ![]() ところで、フスティノさん、カメラは持ってきたのですが、パソコンとつなぐUSBコードをクスコに忘れてきてしまって、写真がずっと活用できなかったのです。 ![]() 「八百屋連」の矢野さんは親切で、このUSBコードを買ってフスティノさんにプレゼントしてくれました。ありがとう矢野さん。おかげで楽しい写真が披露できます。写真は、八百屋連で、左から矢野さんフスティノさん寺元さんれん子さん。 |
7月29日 大阪 |
![]() |
高速バスに乗る手配と手助けは大阪の東ひろみさん。プエンテの会のホームページを見て、ボランティアを申し出てくれた人です。6月にクスコに行ってきたばかりで、ケイコが5年前にいた別の団体の日本語教室を覗いてきたようです。![]() 彼女は週末に働いていたので、平日が担当でした。フスティノさんのYWCA通いも月曜から金曜ですから、好都合です。スペイン語が話せます。左奥です。 ![]() 手前が成田さん。彼女もスペイン語が達者。成田さんは、9月の北海道のイベントにも来てくれました。皆さん、ずいぶんいい出会いを作っていたようです。一番右は、このペルー料理レストランのマスターのペルー人で、フスティノさんの知り合いです。 |
7月30日 徳島 |
![]() |
週末を利用して、四国入りしたフスティノさん。徳島のプエンテの会の支援者でも、ベロ亭のケイコとヒデコの友達でもある松永三恵子さんと、お連れ合いの藤本さんのお二人の協力で、四国八十八カ所の第五番所・地蔵寺と同第一番札所の霊山寺を観光。![]() また、写真は、松永さんの通っている阿波踊りの練習に参加した時の彼の姿。「なかなかうまかった」そうです。それもそのはず、クスコの先住民の踊りにこんなしぐさのものもあるからです! ![]() またこの日は徳島のお二人がずっと関わっている吉野川を守る運動の拠点、第十の堰にも行ったそうです。お土産には、松永さんの息子さんたちの書道セットのお古を2セット、クスコのグループにいただきました。ありがとうございました。 |
7月31日 徳島 |
![]() |
写真は徳島県土成町のたらいうどんの店の店先で松永さんと。フスティノさんは「うどんが大好き」、でも、から揚げになった沢ガニは、「こわい」と言いつつ、美味しいと食べていたとか![]() 徳島と大阪との往復では、「大きな橋がありました」とフスティノさん。鳴門大橋と明石大橋はさすがに見ごたえがあったことでしょう。 ![]() 松永さんにとっては、「フスティノさんの4人の子どもさんの話がとてもおもしろかった」とのこと。実は、フスティノさんも松永さんも、4人の息子さんたちがいるのです。 |
8月1日 YWCA |
![]() |
YWCAでフスティノさんがつくった俳句。 「日本語はおもしろかった 好きになった」 「若い子は花みたいだよ よく看よう」 みよう、の漢字がこうなっているのは、フスティノさんが辞書を引いた結果なのだろう。でも、どう解釈した結果なのかな。 ![]() ところで、この日入ったニュースによると、クスコのグループの最年少の奨学生、エリントン君が、フスティノさんが不在の中、サブリーダーのラケルさんと猛勉強。今までにないほどきれいなひらがなを書いているそうです。「彼は進歩できると確信する」と、プエンテの会のお抱え通訳のアギさんからの速報でした。エリントン君は、クラスのシンボル的存在です。 |
8月2日 大阪 |
![]() |
ペルー料理レストラン「ロスインカス」の店主、オスカルさん(クスコ出身、ケイコの以前の教え子のおじさん)と再会して。この店がYWCAの近くにあったため、偶然道で会ったりもしたそうです。![]() 在日ペルー人との集まりは、実は七月十日に、静岡の修道院のシスターアナマリアが設定してくれていたのですが、来日が遅れてキャンセルせざるをえない経緯がありました。 ![]() そこで、神戸では、「神戸外国人救援ネット」を通して、「ヒョーゴラティーノ」のペルー人を紹介してもらいました。東京では、ブラジル人神父にも会いました。。オスカルさん以外は,出会いに至るさまざまな連絡は、ケイコが担当しました。在日ラテンアメリカ人の生の声に少しでも触れて、彼なりに日本の実像を知ってほしかったからです。日本は夢と憧れの幻の国ではないのですから。 |
8月3日 大阪 |
![]() |
YWCAの先生と。さまざまな活動やおつきあいでめちゃくちゃ忙しいにもかかわらず、ここでの勉強についていけたのは、どんなに夜遅くホームステイ先に帰っても、必ず朝六時に起きて、朝ごはんの八時まで予習復習を怠らなかったためのようです。よく遊び、よく勉強し、四十七歳のフスティノさんも、日本ではずいぶん「青春」したことでしょうね。YWCAで勉強中の顔は心なしか若いフスティノさんです。![]() そんなこんなで、今回の来日の意味を、支援した側としても、あらためてかみしめます。彼の日本語学習だけにとどまらない、友情作りのための大奮闘に拍手! |
8月4日 | ![]() |
YWCAのスペイン語クラス。右の前から二人目は支援者で、何度もフスティノさんをお世話した西村隆さん。西村さんは、YWCAのスペイン語講座に出ていて、クラスにフスティノさんを招き、その後の二次会での記念写真です。キューバレストランとか。![]() プエンテの会員や周辺でボランティア希望の人も含め、フスティノさんをサポートするためにいろいろな人が動いてくれました。実際に会う人以外に、駅まで連れて行ってくれる人、迎えに行ってくれる人などさまざまです。通学だけは一人でしていますが。 ![]() そしてさらに、それを福井県のプエンテの事務局では、手配し続けるという段取り仕事をしています。フスティノさんが、帰国予定の9月23日までの、さまざまな予定を決めていく段取りは、ひとえにフスティノさんと、その背後のクスコのグループに、「日本」が少しでも伝わるためと、精力的に計画を立てています。 ![]() その結果、どうやらフスティノさんは「ひでこさん、きのうは、くたくたで電話できませんでした」と、くたくたなどという新しい言葉を覚えるようです。 |
8月5日 | ![]() |
YWCA終了式 フスティノさんが、がんばって通ったYWCAもこれで終了。午前中は、関西弁の勉強、午後はお別れパーティだそうで、「悲しいお別れで泣きます。知らなかったことをたくさん勉強しました。友達できました。」とフスティノさん。 ![]() 西村さんの送りで、広島行きの高速バスに。翌日は、被爆六十周年の広島一日目となります。 |