「プエンテの会」をしている岩国英子と米谷恵子のベロ亭ってなんだ

その7色レインボウカラーの横顔

家と工房の名前
1979年に始められた母親2人とその子供5人合わせて7人の家族、ないしはその家の名称。
この古き良き貧しい時代には母子母子家庭ともユーモアをこめて言っていたもの。
現在は子供5人の独立に伴って、女2人の暮らしとなり、やきもの師の岩国英子、詩人でライターで日本語教師の米谷恵子二人をベロ亭と称したり、岩国の窯があることから、やきもの工房をベロ亭と呼んだりすすことも多いようです。
22年間には、他の2、3の大切な友人が一緒に暮らしていたこともあり、中でも数年間暮らしとアーティストとしての活動を分かち合った絵描きの女性の存在には大きな大きなものがあります。
ベロ亭の出典は
出典は斎藤隆介の創作民話『ベロ出しチョンマ』。
福井県武生市の山間の集落では、家系を表す屋号のように「ベロテサン」と呼ばれていて、興味深いところです。
シンボルマークか家紋か
ユニークなシンボルマークというべきか、由緒ある家紋というべきか、黒いドレスにとんがり帽子の二人のおばさん魔女と5人の子供の小人がホーキにまたがる絵柄は広く知られわたっていて、女二人のどちらかがホーキの先頭にさっそうとまたがっているか、ホーキのシッポから夜空の中へ落ちそうなほうかは諸説があるそうです。



商標かネットワークブランド
20年余り、日本全国を岩国英子の作ったやきものを積んで周ってきた「ベロ亭やきものキャラバン」では、ベロ亭とは、使い手とともにある面白いやきものの商標かネットワークブランドとして親しまれています。
500ヶ所近くを巡ってきたこのキャラバンでは、米谷恵子は企画、展示設営の一切を担当、自作詩の朗読をやきものの展示即売と平行して開催することもあります。
女達との活動
ベロ亭が女たちにとって風通しが良くなる、幾つもの重要な働きを担ってきたこともここにお伝えしたいと思います。
20年にわたってエネルギーえを傾けてきた活動とは・・・
1981年の女だけのロックバンド水玉消防団のコンサートや女への暴力を女の視点で掘り下げたカナダの映画「声なき叫び」の開催、母子家庭の子供たちに出る児童扶養手当の改悪反対運動、例えばラテンアメリカの・・・ボリビアのウカマウ集団など映画の上映協力、原発や農薬空中散布の反対運動、「結婚しないで」子供を産んだ幼稚園の先生の配置転換のショックから始まった「地方の女性の自由を考える会」の活動などなどです。

地元の外国人に日本語学習支援からクスコの日本語教室活動に
1995年頃から米谷は地元の外国人への日本語学習支援にも着手。
ベロ亭のマイノリティ性がいきついた日本語を介するこの異文化交流は、ついに、1998年地球の反対側のぺるーのクスコにおける日本語教室へと発展。
プエンテの会へと
経済的な問題などで、2000年に中断したクスコの日本語教室再開のため、現在は米谷恵子を中心に岩国英子をはじめとする何人かの仲間がプエンテの会(クスコ日本語基金)を結成。
ベロ亭キャラバンの活動と平行して、クスコのペルー人生徒との教室再開の約束を果たすべくふんとう中です
クスコで作陶
クスコで岩国は日本語教室の運営のサポートをするとともに、作陶活動、やきものの村々への訪問など平行して行っていました。

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